この世の終わりのような顔をして夫が帰宅した。
後輩(男性)が半年間の育休をとるとのこと。
男性で半年、というのは夫の職場では最長記録更新のようだ。
夫、4年前、自分が育休を取らなかったことをひどく後悔し、
「育休とらなくてごめんね」と、暗~~~~~い顔で言う。
いやいやいやいや、収入2/3になるより満額もらえた方が助かるから何の問題もありませんが・・・
と思う。
が、まてよ。思い出したぞ。
夫が育休を取れていたら・・・思ったこと2選
①出産前後の悲劇
2020年、私はコロナ元年に娘2号を出産した。
コロナのため、実家新潟の病院での里帰り出産は受け入れられず、金沢で産むことに。
夫の帰宅は20時ごろ。出産のための入院中、当時保育園年長だった娘1号のお世話をどうするか?ということになり、私の母(当時69歳)に金沢に来てもらったのだった。
私の入院中、年に2,3回しか会わないばあばとの暮らし。
娘1号、夫、ばあば、慣れない者同士の生活、そしてコロナ。なかなか外にも出られない。
皆が皆、気を遣い合いまくり、リラックスできない日々だった。
私の退院後も、気の遣い合い、遠慮のし合いは続き、ついに娘1号、
「ばあば、もう帰って」
と、言い放つ。
な、、、なんてことを。
娘の気持ちもわからないでもない。
でも慣れない暮らしの中、ばあばがばあばなりに精一杯家事や娘1号の遊び相手をがんばってくれていたのも痛いほどわかる。
産後のメンタル乱高下の中、冷静な判断も前向きな調整もできない私はただただ涙が出るばかり。
この時、もし夫が育休を取れていたら・・・。
②娘1号のケア
産後、退院前に助産師さんに言われた。
「どんなに赤ちゃんが泣いていてもお姉ちゃんのフォローを優先してください。」
「産後、ママが生まれた赤ちゃんを連れて帰るということは、お姉ちゃんにとって、『夫が愛人を連れて帰ってくる』ようなもの。それくらい強く、大事なママを見知らぬ奴に盗られたと思うものなのです。」
一人っ子の私には目から鱗。
気をつけねばと、思っていた。思っていたのだが・・・
育休中のある日の夕方、娘2号がグズり、夕食の支度が思うようにはかどらない中、来客あり。
職場の同僚が出産プレゼントを持ってきてくれたのだ。
一旦プレゼントを部屋に置き、玄関で娘2号を抱っこしながら立ち話。
久々に人間と話す喜びでつい長話となり、同僚を見送るともうこんな時間!?
夕食の支度をせねば!と急ぎ部屋に戻る。
すると娘1号がプレゼントの箱を開けて、中に入っていたたくさんの髪飾りを頭にいっぱいにつけてニコニコ遊んでいたのである。
「何してるの!?!?!?!?!? 〇〇ちゃん(娘2号)のでしょ!!!!!!!!!!!」
ーーーーー私は、無邪気に遊ぶ娘1号に向かって鬼の形相で怒鳴ってしまったのだ。
何で怒鳴ってしまったんだろう?と今も思い出すたび、胸が締め付けられる。
娘1号の、かわいい髪飾りを頭にたくさんつけてニコニコしていた表情、からの、
怒鳴られて、ビックリして、悲しそうに髪飾りを外し、片付ける姿。
娘1号、きっと、「かわいい!」と言われるかな~?、と期待していたに違いない。
何で「かわいいね」と言ってあげられなかったんだろう?
何で「かわいい」と思えなかったんだろう?
娘1号の無邪気に遊ぶ姿 << 夕食の支度、バラバラに散らかったプレゼント
こんな風にしか考えられない私だった。
この時、夫がいてくれたら娘1号の髪飾り姿を絶賛していたに違いない。
そして私も夕食の支度なんかに必死にならず、心に余裕を持って、
プレゼントを開けた娘を微笑ましく眺めていたかもしれない。
この時、もし夫が育休を取れていたら・・・。
2025年4月「改正育児・介護休業法」
自分の育休時代を思い出しながら現状を調べると育休期間の手当が手厚くなっているではないか!
2025年4月には出生後休業支援給付金なるものも創設されるようだ。
子の出生直後の一定期間以内に、被保険者とその配偶者がそれぞれ14日以上の育児休業を取得した場合に最大28日間、休業開始時の賃金の13%相当額が上乗せされる、とのこと。
従来の給付率67%+新設の給付13%=80%、これは手取り10割に相当!

手取り10割の期間はたった28日間だが、それでもありがたい。お金のことは気にせずに(職場のことは気になるが)夫に出産直後に育休を取ってもらえる!
今から出産を迎える夫婦に伝えたい。
父親の育休、特に産後直後は少しでも取ってほしい。核家族であればなおさら。
メンタル乱高下の妻のために。
そして、赤ちゃんを迎えるお兄ちゃん、お姉ちゃんのために。
いきなりママを盗られ、さらに「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」を課せられている上の子の寂しさを
パパが埋めてほしい。
もしくはパパが赤子のお世話をすることで、
上の子がママを独り占めできる時間をたっぷり作ってあげてほしい。
そんなことを願いながら、自分の育休時代、辛く当たってしまった上の娘をもっと大事にしたいと思うのであった。