ヨシタケシンスケ氏の絵本を読んだ。
タイトルは『あんなにあんなに』。
「あんなに〇〇だったのに、もうこんな」
という、シンプルなフレーズとともに、
子どもの成長、自分自身の老い、そして残酷なまでに容赦ない時の流れが描かれている。
ページをめくるたび、私は激しく動揺した。
なぜなら、そこに描かれている「あんなに」の数々が、今まさに我が家で絶賛開催中のカオスと完全に一致していたからである。
4歳児のカオスが尊く感じられる
例えば、現在4歳の次女。
「抱っこ!抱っこ!」と、まるで一生地上を歩かない決意をしたかののようにしがみつく姿。
「グミ買って!」と、スーパーの床にビヨーンと蹴伸びスタイルで転がる姿。
それもいつか、「もうこんな」というフレーズとともに、
自室にこもってスマホをいじり、親と目を合わせない思春期へとトランスフォームするのだろうか。
あるいは今、目の前で一心不乱に「鼻くそ」をほじっている姿。
その迷いなき指の動き。
そんな「無垢」な姿をさらけ出してくれるのも、あとわずかかもしれない。
今に、恥じらいを覚え、鼻くそをほじりたい衝動をグッとガマンする「大人」へと変貌していくのだろうか、と思うと目に焼き付けたくなる。
10歳の長女が教えてくれる「タイムラプス」
10歳の長女を見ていると、そのスピード感たるや。
あんなにプクプクの、ちぎりパンのような腕をしていたのに。
夫が帰宅すると「おかえり~!」と玄関までダッシュでお出迎えに行っていたのに。
今や彼女は夫が「ただいま~!」と帰宅しても、iPad越しにチラリと一瞥。「おかえり」すら面倒くさいのか?発するのは「お~ん」という合図?のみ。
もはや、タイムラプス状態。「無垢」な姿は走馬灯のように過ぎ去り、絶賛思春期・反抗期がそこにある。
そして、この10歳の姿も数年後には「あんなに・・・」と振り返られるのだろう。
自分の「老い」というサイドストーリー
そしてこの絵本が秀逸なのは、子どもの成長だけでなく、「親の老化」にもスポットライトを当てている点である。
あんなに夜更かししても翌日シャキッと活動できていたのに。
あんなに食べ放題プランをこよなく愛していたのに。
今や、就寝時刻が23時を回ると翌日の脳の活動が70%ダウン。
食べ放題プランより、「美味しいものを少しだけ」で十分、になってしまった。
鏡を見れば、そこには「あんなに」ピチピチだったはずの肌をどこかに置き忘れてきた、中年女性が立っている。
格闘の時間は、未来への「プレゼント」
今、私は娘たちとの格闘の渦中にいる。
脱ぎ捨てられた靴下、片付かないおもちゃ、散乱するマンガ本。
繰り返される「なんで?」「なんで?」口撃。
正直、イライラが絶えない。
しかし、『あんなにあんなに』を読み終えた今、改めて感じさせられた。
このカオスこそが、数年後の自分への「あんなに・・・」というプレゼントになるのだ。
「あんなに騒がしかったのに、こんなに静か」
そんな日が来るのは、思っているよりもずっと早いのかもしれない。
今この瞬間を、もう少しだけ丁寧に、噛み締めていこうではないか。
二度と戻らない今を大切にしたい。

